東京高等裁判所 昭和39年(ネ)1237号 判決 1968年9月20日
控訴人・被告 社会保険診療報酬支払基金 外一名
弁護士 横大路俊一 外一名
補助参加人 中央医療信用組合
弁護士 黒沢子之松 外一名
被控訴人・原告 高橋園子
訴訟代理人 吉井晃 外一名
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の各請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴人らは、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張および証拠関係は、つぎに附加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。
一、当事者の事実上の主張。別紙のとおり。
二、証拠関係。
書証。
被控訴人提出。甲第二号証の一、二(成立を認める)、甲第三号証(原告の存在並に成立を認める)。
控訴人支払基金提出。乙第一三号証ないし二四号証、乙第二五号証の一、二、乙第二六号証の一ないし五、乙第二七号証の一ないし四、乙第二八号証の一ないし五、乙第二九号証の一ないし三、乙第三〇ないし三六号証、乙第三七ないし四〇号証の各一、二(いずれも成立を認める)。
人証。
控訴人支払基金申出。証人坂田昂の証言。
控訴人連合会申出。証人八木欣一の証言。
理由
被控訴人の主張する本訴請求原因は、被控訴人は、訴外医師金沢旻に対し貸金債権を有するところ、金沢旻が保険診療に従事した結果控訴人らに対し有する診療報酬債権を差押え、これに対し取立命令を得たから、控訴人らは、被控訴人に対し、それぞれ本件請求金額の支払義務があるというのである。
しかしながら、金沢旻は、保険者に対し診療報酬債権を有するとしても、控訴人らに対し直接右債権を有することを認めるに足りない。けだし、被控訴人の主張するところによれば、医師金沢旻の保険診療により生じた診療報酬支払義務を負担した保険者は、その支払を控訴人らに委託したというのであるから、保険者より右支払委託を受けた控訴人らは、保険者から委託された委任事務の処理として金沢旻に対し診療報酬金の支払を為すべきではあるが、それは保険者に対する義務の履行にすぎず、金沢旻に対し直接義務を負担し、その義務の履行としてなすものではないといわなければならないからである。被控訴人は、金沢旻が控訴人らに対し直接権利を取得する根拠として、第三者のためにする契約と右第三者の受益の意思表示の存在をいうものではない。なお、被控訴人は、「控訴人らは制度上当然にみずから診療担当者に対し直接診療報酬の支払をなす義務を負担する。」と論ずるけれども、もし被控訴人所論のとおりであるとすれば、控訴人らは、診療報酬の支払につき、保険者の資力如何にかかわらず、診療担当者に対し連帯保証をなしたと同じことになるが、被控訴人挙示の諸理由をもつてしても制度上控訴人らにそのような義務があると認めるにはなお十分でないといわなければならない。むしろ健康保険法第四三条の九第五項もしくは国民健康保険法第四五条第五項により保険者から診療報酬に関する事務の委託を受けた控訴人らが診療担当者に対する診療報酬支払を担当する制度の主たる目的は、保険者の診療報酬任意支払の窓口を一本化し、診療担当者が受診者によつて異なる保険者毎に各別の診療報酬請求をする煩を省くためにあるのであつて、進んでこれら支払担当者に実体法上診療担当者に対する右報酬支払義務を直接負担させるようなことは、全く右制度の企図するところではないと解するのが相当である。右診療報酬債権の差押手続において実務上前記支払担当者を第三債務者として表示するのは、単に債権差押手続において実体上の支払義務者である各保険者毎に支払差止を命ずることに代え、現実に診療報酬支払事務を担当する者に対し支払差止を命ずることにより事実上債権差押の実効を収めようとしたものであつて、支払担当者を実体法上の債務者と認めるからではない。さらに、被控訴人は、「診療担当者、保険者、基金および連合会(控訴人らをいう)の三者間には、右基金および連合会が保険者から支払委託を受け、診療担当者は基金および連合会に診療報酬請求書を提出し、基金および連合会では右請求書を審査してから診療担当者に診療報酬を支払うという内容の明示または黙示の契約がある。」と論ずるが、そのような明示の契約を認めるに足る証拠がなく、また、制度上控訴人らが診療担当者に対し診療報酬の支払を保証する趣旨が認められないこと前記のとおりであることに徴し、そのような黙示の契約の成立も認めることができない。
以上の次第であるから、金沢旻が控訴人らに対し直接診療報酬債権を有することを前提とする本訴請求は、その余の争点について判断するまでもなく失当として排斥を免れない。
よつて、これに反する原判決を取り消し、被控訴人の控訴人らに対する各請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九六条に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川添利起 裁判官 坂井芳雄 裁判官 蕪山厳)
別紙 一 控訴人東京都国民健康保険団体連合会の主張
一、控訴人が第三債務者でないという主張について。
1 国民健康保険診療報酬の支払手続については証人八木欣一の説明のとおり、診療機関は保険者との契約により、保険者から受けるべき報酬を連合会から受領するのであるが、毎月一〇日までに前月診療分の報酬計算書及び請求書を連合会宛に提出し、連合会はその翌月五日までに審査の上各保険者毎に請求額を取りまとめて請求し、その月の二六日から二八日までに払込むよう通知し、その頃受領の上、直ちに診療機関に支払つているのであるが、保険者は診療機関及び自らの便宜のために審査及び支払事務を連合会に委任しているのである。連合会の支払事務は保険者の委任にもとづくもので連合会自体は保険者から受領していない診療報酬を支払う義務はないのである。本来の債務者は保険者である。法律的には、保険者自ら支払事務を処理し、診療機関は直接保険者に対して報酬を請求しても差支ないのである。この関係は、国選弁護人の報酬支払義務者が国でありながら、事実上は弁護士会が所属会員の受けるべき報酬を一括して受領の上会員たる弁護人に分配しているのと相似ている。
2 以上の関係は、特に、連合会が保険者から診療報酬の引渡を受ける以前における法律関係を考えると明らかである。
その状態においては、連合会は、昭和×年×月分という具体的な報酬をまだ預つていないのであるから、診療機関にこれを支払う義務は生じていないのである。
連合会が差押命令の送達を受けたのは昭和三六年一月一四日であるが、その当時連合会は保険者から昭和三五年一一月診療分及び同年一二月診療分の診療報酬はまだ預つていなかつたのである。連合会が昭和三五年一一月分の診療報酬を保険者から受入れたのは昭和三六年一月二六日から同月二八日までの間であり、昭和三五年一二月診療分の診療報酬を保険者から受入れたのは昭和三六年二月二六日から同月二八日までの間であつた。本件差押命令送達時において連合会は訴外金沢旻に対する債務を負担していなかつたのであるから、控訴人に対する支払義務がない。
別紙 二 被控訴人の主張(昭和四三年四月三日付準備書面)
控訴人東京都国民健康保険団体連合会(以下連合会という)の第三債務者でないという主張について、被控訴人は左の通り申述する。
一、控訴人連合会は、国民健康保険法により保険者(保険者は同法三条により市町村及び特別区並びに国民健康保険組合である)が、共同してその目的を達成するため設立した特殊法人(同法八三条)で、東京都の区域内の保険者の強制加入団体(同法八四条、同四五条)である。
二、(一) 国民健康保険法によれば、保険者は診療担当者の診療報酬請求の審査及びその支払に関する事務を控訴人連合会に委託し得る(同法四五条)ものであるところ、右連合会は、診療報酬の支払について、保険者の委託により、診療担当者から提出される請求書を審査すると共に、診療報酬を診療担当者に支払うものである。
(二) 診療報酬の支払については、保険者よりの預託金及び受入金をもつて支払われるのであるが、預託金は診療報酬の迅速な支払をなすために必要な資金として一定金額を各保険者から預託を受け、診療担当者から請求があつた場合、まずこれを支払に当てる筋合のものである。
かような次第で控訴人連合会は保険者からの受入金がないからといつて診療報酬の支払を拒絶することはできない。
三、要するに、控訴人連合会は保険者の委託により、診療担当者に支払をなす地位にあるものである。
すなわち、控訴人連合会は保険者に対しては債権者であると共に支払担当者であり、診療担当者に対しては債務者であり、被控訴人に対する関係では正に第三債務者といわねばならない。だからこそ事実上も本件訴訟前に控訴人連合会は被控訴人に対して、本件と全く同種の診療報酬の一部を支払つているのである。(甲第二号証の一、二-債権者被控訴人、債務者訴外金沢旻、第三債務者控訴人連合会間の東京地方裁判所昭和三五年(ル)第二八八二号債権差押取立事件の送達通知書及び債権取立届参照)。そればかりか控訴人連合会は本件差押取立命令送達前に、債権譲渡がなされたことを認め、この事実を前提として本件差押の効果がないと主張しているが、この主張は、控訴人連合会が第三債務者でないと主張している点と矛盾するものである。
別紙 三 被控訴人の主張(昭和四三年五月二二日付準備書面)
第一、診療担当者が控訴人基金及び同連合会に対して診療報酬債権を有する理由につき、被控訴人は次のとおり補足して陳述する。
(一) 診療担当者は都道府県知事の登録により保険医療機関としての公的責務権限をもつとともに、保険者に対して診療報酬の請求をなし、その支払を受くべきところ、法律の規定に基いて保険者が控訴人基金(以下単に基金という)及び同連合会(以下単に連合会という)に対し診療報酬の支払委託をなし、右基金及び連合会は法律上支払義務者たる地位において、診療担当者に直接診療報酬の支払をなすものである。従つて診療担当者である訴外金沢旻は診療報酬の直接の支払義務者である基金及び連合会に対し本件診療報酬債権を有している。
仮りに右の主張が認められないとしても、診療担当者、保険者、基金及び連合会の三者間には、右基金及び連合会が保険者から支払委託を受け、診療担当者は基金及び連合会に診療報酬請求書を提出し、基金及び連合会では右請求書を審査してから診療担当者に診療報酬を支払うという内容の明示又は黙示の契約があるため、訴外金沢旻は基金及び連合会に対し本件診療報酬債権を有している。
(二) 前記の法律の規定について説明すれば次のとおりである。
診療担当者は都道府県知事の登録により保険医療機関としての公的責務権限をもつ(健康保険法第四三条の五、国民健康保険法第三九条)。診療担当者は、被保険者を診療したことにより診療報酬の請求を本来は保険者に対してなし保険者から支払を受くべきところ(健康保険法第四三条の九第四項、国民健康保険法第四五条第四項)、保険者は基金及び連合会に対し診療報酬の支払委託をすることができるため支払委託をしている。(健康保険法第四三条の九第五項、国民健康保険法第四五条第五項)基金には右のために特に社会保険診療報酬支払基金法が制定されており、基金が診療報酬の法律上の支払義務者とされている。即ち基金については同法第一三条に基金の業務の規定をおき、「毎月、その保険者が過去三箇月において最高額の費用を要した月の診療報酬のおおむね一箇月半分に相当する金額の委託を受けなければならないこと、診療担当者の提出する診療報酬請求書に対して厚生大臣の定めるところにより算定したる金額を支払うこと、診療担当者の提出する診療報酬請求書を審査すること、前各号の業務に附帯する業務」を行なうと同条第一項第一号乃至第四号に規定している。従つて診療担当者は診療報酬請求書を基金に提出し、基金では右請求書を審査してから診療報酬を診療担当者に支払うのである。即ち基金は法律上診療報酬の支払義務者であるのである。連合会は東京都の区域内の保険者の強制加入団体であつて(国民健康保険法第八四条同第四五条)、このことは診療担当者は連合会からのみ診療報酬の支払を受けられるのであつて保険者からは診療報酬を受けられないことを意味する。連合会について他に国民健康保険法施行規則第三二条に「国民健康保険法第四五条第五項の規定により保険者から診療報酬の支払に関する事務の委託を受けた国民健康保険団体連合会は、当該保険者から、毎月、当該保険者が過去三箇月において最高額の費用を要した月の診療報酬のおおむね一箇月半分に相当する金額の預託を受けるものとする」との規定をおき、国民健康保険法第八七条には「法四五条第五項の規定による委託を受けて診療報酬請求書の審査を行なうため、連合会に国民健康保険診療報酬審査委員会をおく」旨規定し、同法第八九条には「審査委員会は診療報酬請求書の審査を行なうため必要があると認めるときは都道府県知事の承認を得て診療担当者に出頭若しくは説明を求めることができる」旨規定している。又東京都国民健康保険団体連合会規約第六条には連合会の事業として「診療報酬の審査及び支払」について、同規約第四〇条には「診療報酬審査支払特別会計」について規定を設けている。これらの規定を総合すれば連合会の場合も基金と同様に、診療担当者が診療報酬請求書を連合会に提出し、連合会は右請求書を審査してから診療担当者に診療報酬を支払うことを法律上認めているというべきである。即ち連合会は法律上診療報酬の支払義務者とされているのである。
よつて訴外金沢旻は基金及び連合会に対して本件診療報酬債権を有している。
別紙 四 被控訴人の主張(昭和四三年六月七日付準備書面)
診療担当者が控訴人基金及び同連合会に対して診療報酬債権を有する理由につき、被控訴人は次のとおり更に補足して陳述する。
一、健康保険の保険者は政府及び健康保険組合であつて(健康保険法第二二条)、健康保険組合は法人とされている(同法第二六条)。その健康保険組合が解散によつて消滅したる場合は、右組合の権利義務は政府が当然承継するのである(同法第四〇条)。このことは国家が社会保険の最終的な責任を負うことを示すものである。
国民健康保険法においては、市町村及び特別区と国民健康保険組合とが保険者となるが(国民健康保険法第三条)、市町村及び特別区を原則とし、事実上も国民健康保険組合が保険者となる場合は極めて少数である。(吾妻光俊「社会保障法」法律学全集一四四頁、同一五二頁参照)。ところで国民健康保険法の規定する国民健康保険組合は、同種の事業又は業務に従事するもの(国民健康保険法第一三条)例えば弁護士会、薬剤師会などの組合であつて法人であり(同法第一四条)、保険料の徴収については地方税法の準用規定があり(同法第七八条)、督促及び延滞金の徴収や滞納処分について規定がおかれている(同法第七九条、第七九条の二、第八〇条)ばかりでなく、国の補助があり(同法第七三条、第七四条)、厚生大臣又は都道府県知事の監督を受けているものであり(同法第一〇八条、第一〇九条)保険者の診療報酬の支払は制度的に保障されているものである。このことは、控訴人連合会の場合も例外ではない。
従つて以上のような社会保障を背景としている保険者から支払委託を受けた控訴人基金及び同連合会は登録している診療担当者に対する診療報酬の法律上の支払義務者であるというべきである。
別紙 五 控訴人社会保険診療報酬支払基金の主張
一、乙第一号証債権譲渡通知書に基き控訴人社会保険診療報酬支払基金が中央医療信用組合に対し支払をなした訴外金沢旻の昭和三七年五月分及び六月分の診療報酬の内訳並びに支払年月日は次のとおりである。(別添乙号証八通参照)
表<省略>
二、次に訴状請求原因第二項に述べられているとおり東京地方裁判所昭和三七年(ル)第一七二六号、同年(ヲ)第一九〇八号債権差押及取立命令(乙第七号証)は同年七月一二日に控訴人社会保険診療報酬支払基金に送達されているところ、この命令送達前になされた支払額は前項表中2の五月分結核予防法診療報酬金四、〇五二円である。よつて仮りに前項の支払金九七八、一五六円の全額についての債権の準占有者への弁済に関する控訴人の抗弁が認められない場合においても、前記四、〇五二円については債権の準占有者への弁済であることは争う余地のない問題である。